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熊本地方裁判所 平成8年(ワ)1178号 判決 1997年6月25日

主文

一  被告は、原告に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成八年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

一  請求

主文一項中の金額を「五〇〇万円」とする外、主文一項と同旨(なお、遅延損害金の起算日は不法行為後である訴状送達の日の翌日)

二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、被告から強姦され、その後も性関係を強要されたと主張し、民法七〇九条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

1  原告の主張

被告は、バドミントン協会の役員の地位にあったが、平成五年九月二〇日ころ、実業団のバドミントン部の選手であった原告を強姦した上、これによる原告の驚愕と動揺に付け込み、結婚したいなどと嘘を言い、また、告訴すれば選手生命を奪われるなどの報復を受けるかも知れないとの原告の恐怖心を利用し、平成六年春ころまで原告との性関係を継続し、これによって、原告の性的な自己決定権と人間としての尊厳を侵害した上、恋人を失わせ、同年一二月にはバドミントン部を退部させて選手生命を奪い、平成八年三月末日限り退職を余儀なくさせて仕事を失わせ、原告に少なくとも五〇〇万円相当の損害を被らせたものである。

2  被告の主張

被告は、原告から突然「たまに食事にでも誘ってください。」と声を掛けられ、数日後に原告を食事に誘い、平成五年九月二〇日夜、原告と食事をしたが、その後は原告宅の近くまで原告を送ったのであり、原告を強姦したことはなく、同年一〇月二七日、国民体育大会のバドミントン競技のため香川県坂出市所在のホテルに宿泊していた際、原告が被告に「明日の試合が怖い。」と涙を流しながら訴えて抱き付いたことから性関係を持つに至り、原告に誘われるまま、平成六年四月ころまで性関係を継続したが、原告に結婚したいと言ったことはなく、原告も被告に妻子がいることを承知の上で被告との交際を続けたものである。

3  争点

原告の主張するとおり、被告が原告を強姦した上、性関係の継続を強要したかどうか。また、これによって原告が被った損害の額はいくらか。

三  争点に対する判断

1  証拠によって認められる事実

《証拠略》によると、大要、次の事実を認めることができる。なお、証明書、証人丙川松夫の証言及び被告の供述(陳述書の記載を含む。)のうち、次の認定に反する部分は採用できないというべきである。

(一) 原告(昭和四五年八月四日生)は、小学生のときからバドミントンを始め、高校時代にもバドミントン部に籍を置き、全国高校総体で団体準優勝をするなどの活躍をしたため、高校卒業後の平成元年四月、実業団選手として九州丁原電気株式会社(以下「丁原電気」という。)に入り、そのバドミントン部に所属していたものであり、一方、被告(昭和二八年一〇月四日生)は、昭和五八年五月から熊本市議会議員、平成七年四月から熊本県議会議員を務める外、平成五年九月当時は熊本県バドミントン協会副会長、熊本市バドミントン協会会長の地位にあったものである。

(二) 原告は、平成五年二月の熊本県知事賞授賞式のとき被告がバドミントン協会の役員であることを知ったが、同年九月一九日ころ、国体選手として熊本県宇土市で行われた強化練習に参加していたとき、その練習会場に来ていた被告に会社名と所属部署を聞かれ、「国体前に激励の意味で食事でもしよう。時間の都合が付いたら電話をするから。」と言われ、その後、被告から電話で食事に誘われ、国体前の激励であると思い、他の選手にも声を掛けたものの、都合が悪かったため、その翌日、すなわち、同月二一日ころから二三日ころまでの間の午後八時ころ、一人で自動車を運転して被告に指定された場所まで行き、そこから被告運転の自動車でレストランに連れて行かれた。

(三) 原告は、レストランでの食事の際、被告に勧められて断り切れず、アルコール度がビールより強めの食前酒を三杯飲まされ、食事が終わった後、待ち合わせた場所に送ってもらえるものと思って被告運転の自動車に同乗したところ、ホテルに連れて行かれ、「そういうつもりじゃありません。」と言ったが、被告が自動車を降りて助手席側に来てドアを開け、右手で原告の左手首を掴んで原告を自動車から強引に引き出したので、被告の手を振り払おうとしたものの、食事のときに飲んだ酒の影響で力が入らず、むしろ身体の後ろ側で両手を掴まれ、ホテルの部屋に連れ込まれ、ベッドの上に押し倒され、性関係を強いられた。

(四) その後、被告は、泣いている原告に対し、「前からお前のことが好きだったんだ。俺の気持ちを分かってくれ。真剣に付き合いたいと思っている。」「お前が好きなんだ、どうしようもなかったんだ。分かってくれ、自分のものにしたかったんだ。」などと言い、原告が服を着て部屋を出ようとしたとき、後ろから両腕で原告の身体を包み込み、「俺は真剣なんだ。大事にするから。」と言い、更に、原告が部屋を出てから、その肩に手を回して原告を自動車に乗せ、待ち合わせをした場所まで連れて行き、原告の腕を掴んで自宅の電話番号を聞き出した上、原告を車から降ろして立ち去った。

(五) 原告は、自分の自動車に乗ったが、しばらく運転する気力がなくて呆然とした後、車から降りて歩いて帰宅し、警察に告訴すべきか、バドミントン部の監督や当時交際していた恋人に話すべきかなどと思い悩んだ末、国体の前の大事な時期に原告との一件が公になれば、試合に出られなくなって他の選手に迷惑を掛けるかも知れないと不安になり、他の人に原告に強姦されたことを話すのは恥ずかしいという気持ちも生じ、更に、もし被告を告訴すれば、被告が熊本県や熊本市のバドミントン協会の役員の地位を利用し、報復として原告の選手生命を奪う可能性もあると思い、告訴できなかった。

(六) その数日後、原告は、被告から電話でまた会いたいと言われ、思い悩みながらも、被告の真意を確かめたいという気持ちもあり、被告と会ったところ、被告から「離婚して妻も子どももいない。」「結婚を前提に付き合いたい。」と言われ、その後も「好きだ。」「真剣に考えている。」などと言われ、これらの言葉を信じることによって惨めな気持ちが少しでも救われるような感じになり、また、被告の要求を拒めば、どのような報復があるかも知れず、自分のバドミントン選手としての将来が閉ざされるおそれがあると思い、やむなく被告との性関係を続けるうち、被告をそんなに悪い人ではないかも知れないと考えるようになった。

(七) ところが、原告は、平成五年一一月下旬ころ、「今度夕食でも作りに行きましょうか。」と聞いた際、被告から「今、離婚の話を進めている。離婚しようと思っているから待ってくれ。」と言われ、更に「今、話合いをしている。別れるから待ってくれ。」と懇願され、その後も「俺の気持ちは変わらない。お前には俺が必要だ。待ってくれるだろう。」と言われ、なお原告を愛しているという被告の言葉を信じたいとの思いがあり、その一方で、被告に対する恐怖心も続いていたため、被告との性関係を続けたが、平成六年春ころ、被告から離婚はできないと言われ、騙されていたことが分かり、被告に電話で「もう会いません。電話もしないで下さい。」と話した。

(八) 原告は、被告に強姦された後、東京在住の恋人と電話で話してもぎこちない雰囲気で、平成五年一二月には別れ話をし、平成六年夏ころには別れたものであり、また、被告と会わなくなった後も、被告に強姦された上、騙され、遊ばれたと思うと、悔しさが募り、被告を許せないと思う反面、騙された自分も悪いと思うと情けなく、惨めな気持ちになり、誰かに話すべきか、それとも自分で解決すべきかと思い悩み、その一方でバドミントンの練習にも追われ、肉体的にも精神的にも疲れ果て、バドミントンを続ける気力がなくなり、バドミントンを続けていると被告とまた顔を合わせるかも知れないと思い、同年一二月にはバドミントン部を辞めるに至った。

(九) 原告は、平成三年ころから丁原電気のバドミントン部の選手の一人として、腰や肩の疲れを取るため、マッサージ師の戊田竹夫(以下「戊田」という。)の施術を受けていたが、平成五年秋ころ、施術を受けた際、男性のことで思い悩んでいることはないかと聞かれ、結婚してくれと言われている人がいると話し、平成六年秋ころには、戊田に対し、徐々に被告との間の出来事を打ち明け、更に、戊田が平成七年二月初めころバドミントン部の監督の甲田梅夫(以下「甲田」という。)にその話をしたので、これについて甲田からも尋ねられ、被告に強姦された上、結婚を考えているなどと騙されて性関係を続けたので、被告に謝罪してもらいたいと話した。

(一〇) 甲田は、平成七年二月下旬ころ、熊本県バドミントン協会理事長乙野春夫と同協会常任理事(社会人部会長)丙山夏夫(以下それぞれ「乙野」「丙山」という。)に被告が原告を強姦したことを話し、その後、同年三月中旬ころ、丙山から電話で、被告に会って確認すると、原告と肉体関係を持ったことを認めたと報告を受け、被告が原告を強姦したことを認めたと思い、同年五月二二日ころ、被告と会ったとき、強姦したのかという意味で「甲野をやったのか。」と聞くと、やったと答えた上、原告を愛していたなどと言われ、次いで、原告には見舞金で誠意を見せたらどうかと話すと、相談している人がいるので即答できないと言われた。

(一一) 甲田は、国体が終わった後の同年一〇月二〇日過ぎころ、被告の事務所に電話を掛けたとき、被告から自動車を壊され、事務所の窓ガラスも割られたなどと一方的に責められたが、同年一二月二四日ころ、被告から相談を受けた丙川松夫(以下「丙川」という。)と会ったときには、原告が同月一八日付で作成した被告宛の文書を渡すなどし、原告に対する慰謝料の額や被告の被害状況等について話し合い、その翌日、相互に何も請求しないことにできないかと相談され、原告の了解を得た上、これに応じ、更に平成八年一月一一日には、名刺の裏にこの件についてはすべて終了した旨の念書を書き、これを丙川に渡し、原告には事後にその旨の報告をした。

(一二) 一方、原告は、甲田から話を聞いたバドミントン協会の役員が被告の事務所に行ったときも、また甲田が被告の事務所に行ったときも、被告は原告を強姦したことを認めており、ただ謝罪は待って欲しいと言っていたと甲田から聞いたが、その後、被告の態度が変わり、原告に謝ることは何もない、大人の恋愛であったなどと言い始めた上、被告が原告に自宅兼事務所のガラス窓と自動車を壊されたとして原告を告訴するなどしたため、被告の嫌がらせや脅しが丁原電気やそのバドミントン部にまで及ぶことを憂慮し、平成八年三月末日限り丁原電気を退職したものであり、その後も被告の行為を忘れることができず、思い悩んだ末、本件訴えを提起するに至った。

2  事実認定の補足説明

(一) 原告の供述(陳述書の記載を含む。以下同様。)について

原告は、被告に強姦され、その後も性関係を強要されたと供述しているが、これに対し、被告は、原告との性関係は合意に基づくものであったと供述しているので、原告の供述の信用性について判断することとする。

まず、被告の主張をみると、(1)原告は、被告から強姦された日につき、第一回口頭弁論期日では平成五年九月二〇日から二二日までのいずれかの日であると主張し、陳述書には同月二〇日過ぎころと記載し、本人尋問の際には、主尋問では同月二二日か二三日、反対尋問では同月二一日から二三日までの間であると供述しており、日にちを特定できておらず、強姦という衝撃的な事件があった日を特定できないのは不自然であり、原告が最初に被告と待ち合わせた日には食事をしただけであって、特別な出来事が何もなかったため、日にちを特定できないと考えるのが自然である、(2)原告は、同月中旬から下旬にかけてバドミントンの練習を休んだことがなく、同年一〇月に香川県坂出市で国民体育大会が開催されたころも、甲田からみて原告の様子に変わった点はなかったのであり、被告から強姦された後も仕事をしたりバドミントンの練習をしたり普通の生活をしていたことになるが、原告が主張するような強姦の事実があった場合、その衝撃から立ち直るのに多少とも時間が必要であると考えられるので、その翌日から普段通りの生活ができたことは、強姦の事実がなかったことを示すものと思われる、(3)原告は、被告に強姦されたと主張しながら、その数日後には特に脅迫されたわけでもないのに、被告と二人だけで会っており、その後も被告との性関係を重ねたのであるが、本当に原告が被告から強姦されたのであれば、被告を憎悪し、恐れるものであり、その後も性関係を継続するに至っては、強姦の事実に疑問があり、たとえ当初は強引な性関係であっても、これを宥恕し、また、ある程度まで甘受したものと評価できると思われる、(4)原告は、平成五年九月に被告から強姦され、その後も性関係を強要されたが、これを戊田に話したのは平成六年秋ころであり、それまではだれにも話しておらず、しかも最初に強姦されたとする日から約三年を経て、本件訴えを提起するに至ったというのであり、このようなことが常識的にあり得るのかどうかは疑問であり、むしろ、原告が積極的に被告に接近して性関係を続けたものの、結局、被告と別れるに至ったことを逆恨みしたとしか考えられない、というのである。そこで、被告が右(1)ないし(4)で指摘するような原告の言動をもって、被告との性関係が原告の意に反するものであったとは認められず、むしろ原告の合意に基づくものであったといえるのかどうかにつき、検討を加えることとする。

これにつき、《証拠略》によると、強姦の被害者は、一般に、神経の高ぶった状態が続き(過覚醒)、被害当時の記憶が無意識のうちに生々しく再生され(侵入)、被害を思い出さないように感情が麻痺して現実感を喪失する(解離)外、自分が恥ずかしいと感じ、自分にも落度があったのではないかとの思いから自責の念を募らせ、自己評価を低下させる傾向があること、原告も、強姦によるショックが非常に大きいため、被害の事実を否認しようとしても、心因性の健忘により記憶が断片的になっているので、被害の日にちを特定できないと考えられ、このような状態は強姦の被害者としては通例であり、特異なものではないこと、また、原告は、被害の翌日から何事もなかったかのように仕事をしたりバドミントンの練習をしたりして、外見的には被害を受ける前と同様の日常生活を送っていたのであるが、これは、被害の事実と直面するのを避け、ショックを和らげるための防御反応であり、強姦の被害者に共通してみられるものであること、原告は、被告から結婚したいなどと言われたことにつき、強姦された事実は否定できないとしても、少しでも被告が原告に愛情があって強姦したのであれば、単なる暴力的な性の捌け口として強姦された場合よりは救いがあると考え、被告の言葉を信じようとし、被告との性関係を継続したに過ぎないこと、更に、性的な被害者は、恥ずかしさに加え、合意の上ではないか、落度があったのではないかと疑われることで、かえって自分自身が傷付くかも知れないとおそれ、また自分が被害者であると認めたくないとの思いもあって、警察への届出をためらうことが多く、実際、性的な被害者の警察への届出率は低いこと、原告は、自分の身に起きたことを信じたくないし、認めたくないとの思いが強く、それは恥ずかしいことであり、もし周囲の人に話せば、原告にも落度があったのではないかと非難されたり、傷ものとして見られたりするのが怖かったし、被告の社会的地位からみて、被告との関係を公にすると、選手生命を奪われるかも知れないとの恐怖心があったため、被告との関係をだれにも口外しなかったこと、また、原告は、本件訴えを提起する決意をした理由につき、以前は自分が忘れてしまえばそれでよいと思い、必死に忘れようとしたが、いくら時間が経過しても忘れられず、何も解決しないままであったし、裁判を起こす決意をする約二か月前に原告を精神的に支えてくれる人々と出会い、その人々から強姦されたことは決して恥ずかしいことではないし、原告が悪かったのではないと励まされたからであると説明していることなどの事実を認めることができる。そこで、これらの事実をもとに判断すると、原告の言動には格別不自然、不合理な点はなく、むしろ性的な被害者の言動として十分了解が可能であり、自然なものであるということができるので、被告が右(1)ないし(4)で指摘するような原告の言動をもって原告が被告との性関係に合意していたということはできない。

次に、原告は、平成七年一二月一八日付で作成した被告宛の文書には、手書きで「あなたは、熊本市議会議員、熊本県バドミントン協会副会長という地位にありながら、その地位を乱用し、事実とは異なる言葉をはき、一人の人間を傷つけ失望させました。」「したがって、私に対してとられた行動に対して以下のとおり慰謝料を請求致します。」と記載し、その下にワープロで「¥5、000、000」と打った紙を張り付けているが、被告は、この文書の中には、強姦や暴行・脅迫といった文言も原告の意思に反して特別な関係を持ったという表現もないので、そのような事実はなかったと考えられる旨主張しているので、これについて検討するに、原告は、被告に対し、自分のしたことを認めて謝って欲しいという気持ちを伝える一つの方法として右のような文書を作成したのであり、原告がどの程度傷付いているかを被告に分からせるため、具体的な数字を示そうとしたが、金額で解決できる問題ではないという気持ちがあったし、自分の字で金額を書くと金銭で解決しようとしていると思われるようで違和感があったため、ワープロで打つことによって機械的なものにしようと考え、金額をワープロで打ったのであり、また、文書の中で強姦という言葉を使わなかったのは、これを文字にすることによって当時の様子が思い出されるし、文字が残るといつだれに見られるかも知れないと思ったからであると説明しており、その説明内容は、証人丁川の証言によると、強姦の被害者の心理状態として自然なものであり、十分首肯するに足りるものということができるので、結局、右文書の記載をもって被告との性関係が原告の意に反するものでなかったということはできない。

なお、被告は、性暴力被害者の心理状態に関する証人丁川の証言につき、独自の見解であり、経験則に照らして首肯し難いものであるとする趣旨の主張をしているので、これについて付言するに、《証拠略》によると、アメリカでは、べトナム戦争帰還兵の心理的な障害や性暴力被害者の心理的な後遺症に関する研究が行われ、一九八〇年(昭和五五年)には、アメリカ精神医学会(APA)の診断マニュアル第三版(DSM-〔3〕)にPTSD(心的外傷後ストレス障害)が障害名として記載され、一九九四年(平成六年)に発表された同マニュアル第四版(DSM-〔4〕)では、その症状として、外傷的な出来事の再体験、外傷と関連したことの回避や感情の麻痺、持続的な覚醒亢進症状が挙げられていること、また、アメリカの心理学者オクバーグは、強姦等の犯罪被害者については、通常のPTSDの症状に加え、自分が恥ずかしいと感じる、自責の念が生ずる、無力感や卑小感が生じて自己評価が低下する、加害者に病的な憎悪を向ける、逆に加害者に愛情や感謝の念を抱く、自分が汚れてしまった感じを持つなどの症状があることを指摘していること、わが国においても、特に阪神・淡路大震災の後、PTSDに対する関心が高まり、大規模な自然災害の外、強姦等の犯罪被害その他の個人の対処能力を超えるような大きな打撃を受け、トラウマ(心的外傷)体験をしたとき、これによって引き起こされる様々な反応やこれに対する援助の問題が取り上げられ、注目されるようになったことなどの事実を認めることができ、これらの事実にかんがみると、被告の右主張は採用できないというべきである。

以上のとおりであり、他に原告の供述、すなわち、被告に強姦され、その後も性関係を強要された旨の供述に疑いを差し挟むベき事情は見受けられず、その信用性は高いといわなければならない。

(二) その被告の供述(陳述書の記載を含む。以下同様。)について

被告は、原告を強姦したことはなく、原告との性関係は合意に基づくものであった旨、前記認定と異なる内容の供述をしているので、その信用性について判断することとする。

まず、被告は、妻子がありながら原告と合意の上で性関係を継続したことを認めており、この事実は被告にとって社会的に不利益なものであり、立場上好ましいものではないと分かっていながら、自己に不利益な事実を敢えて告白しているので、その信用性は高いと主張しているが、それよりも一層被告にとって不利益となる強姦の事実を秘匿するため、合意の上での性関係の限度で事実を認めたとみる余地もあるので、不利益な事実の告白であることから直ちに被告の供述の信用性が高いということはできない。

次に、被告は、平成五年九月一八日、県民体育祭のバドミントン大会で挨拶をした後、原告から「私は頑張ってますから、食事にでも誘ってください。」と声を掛けられ、同月二〇日に一緒に食事をしただけであり、同年一〇月下旬の香川県坂出市で国民体育大会が行われた際に初めて原告から抱き付かれて性関係を結んだ旨供述しているので、その信用性について検討するに、被告は、原告から声を掛けられた理由は未だに分からず、ただ原告が被告の話の内容に共鳴したり親しみを感じたりしたのだと思うと供述しているに過ぎず、その供述内容は必ずしも明確なものではないこと、甲田は、原告の性格からみて、右のように被告に声を掛けたり、強姦されたと嘘を言って被告を陥れたりするとは考え難く、バドミントン選手としても、国民体育大会の選手の選考にバドミントン協会の役員が関与することはなく、原告が被告に近付いても利益になることはないと証言していること、また、被告の供述によると、国民体育大会のとき、他のホテルの部屋が空いていなかったので、たまたま原告と同じホテルに宿泊することになったというのであるが、本来、バドミントン協会の役員の宿舎は選手・監督の宿舎とは別のホテルとされており、原告が他の役員の宿舎とは別のホテルを探した理由が明らかでないこと、むしろ、被告自身、事前に原告から宿泊先のホテルの電話番号を聞かされていたと供述している上、原告の供述によると、被告が原告と同じホテルを予約したのであるから、被告は、意図的に原告と同じホテルに宿泊したと考えられることなどにかんがみると、被告の供述中、原告が被告と性関係を結んだ時期やこれに至った経緯に関する部分は、いずれも信用性が低いといわなければならない。

なお、右1で認定したとおり、原告が被告から強姦されたのは平成五年九月二一日ころから同月二三日ころまでの間であると認められるところ、被告は、同月二一日から同月二五日までの午後八時ころについては、手帳で確認すると、陳述書に記載したとおり、後援会の挨拶回りなどをしていたので、原告と会うことは不可能であった旨供述しているが、被告は、その手帳を証拠として提出していない上、何年来にわたって手帳に記載していたわけではなく、たまたま平成五年九月ころのことは手帳にすべて記載していたというのであり、その記載の信頼性には疑義があるといわざるを得ず、しかも、手帳には覚書のように何でも記載した部分もあるというのであり、その記載が予定であるのか結果であるのかを判断することさえできないのであって、被告の右供述部分は、前記認定を覆すに足りるものではないというべきである。

更に、被告は、平成五年九月から一〇月にかけて、原告と会ったとき、原告がバドミントンを止めたい、体が続かない、負けたらどうしようかなどと訴え、悩み苦しんでいたので、そのような原告に同情して激励するうち、原告に愛情を抱くようになったのであり、被告と原告は互いに愛し合っており、原告に性関係の継続を精神的に強要したことはない旨供述しているので、これについて検討するに、被告の右供述を前提とすると、原告は、バドミントンについて悩みがあったのであれば、丁原電気の監督や他の選手に相談することができたにもかかわらず、バドミントン協会の役員であるとはいえ、それまで話したこともない被告に相談したということになり、不自然さを拭い難いこと、丁川は、加害者である被告の心理状態につき、原告に告訴されないため、無意識に、一方では、原告に愛している、結婚したいなどと甘言を用い、他方では、原告に優越する地位や力があることを示し、原告との間に擬似的な恋愛関係を作り出したものと理解することができる旨証言しており、被告が本当に原告を愛していたとはいい難いこと、更に、被告は、妻子がありながら原告と付き合った上、その間の平成五年一一月一日ころ、原告と同様に丁原電気のバドミントン選手であった戊原松子(以下「戊原」という。)に対し、嫌がっているにもかかわらず、その右頬にキスをしたことなどの諸点を勘案すると、被告の供述中、原告とは愛し合っており、原告に性関係の継続を精神的に強要したことはないとする部分は、信用し難いといわなければならない。なお、被告は、戊原には試合で頑張ってくれと言って握手して肩を叩いただけであり、キスを迫ったというのは戊原の誤解である旨供述しているが、握手して肩を叩いただけであれば、なぜ戊原がキスを迫られたと誤解したのかが必ずしも明らかでないこと、戊原は、平成五年一一月当時、被告からキスされそうになったことを原告に話しているが、そのときは原告と被告との関係を知らなかったのであり、戊原がことさら虚偽の事実を述べて被告を誹謗する理由は見受けられないことなどにかんがみると、被告の右供述部分は信用できないというべきである。

また、被告は、原告と別れた理由につき、原告のだらしない態度に絶望し、交際を続ける気持ちを失ったからであると要約し、更に詳しく、被告は、原告が平成五年一一月下句ころ試合のため大阪に滞在したとき、被告に連絡すると約束していたのに連絡がなかったので、その翌朝、原告に電話を掛けたところ、昨夜は酒に酔って電話できなかったと言われた上、原告の部屋のベッドに丁原電気のバドミントン部のコーチが寝ていると言われたことがあり、これが尾を引いていたし、しかも、原告との交際の終わりころ、原告から恋人がいると聞かされ、その人と結婚した方がよいと思ったこともあって、原告と別れたと説明しているので、これについて検討するに、原告は、被告との間で右のような電話でのやり取りをしたことはないと述べていること、被告は、原告にコーチと関係があったのではないかと尋ねたことがあると供述しているが、それ以上に被告が原告を追及した形跡はないこと、原告は、平成六年春ころ被告と別れたのであるが、その前の平成五年一二月ころから恋人に別れ話をしていたことなどを考慮すると、被告の右説明の内容は必ずしも首肯し難いといわざるを得ず、被告の供述によっては被告が原告と別れるに至った経緯が必ずしも明らかでなく、この点に関する被告の供述の信用性は乏しいといわなければならない。

その他、被告は、原告に「離婚して妻も子どももいない。」「結婚を前提に付き合いたい。」などと言って原告を偽ったことはないと供述しているので、これについて検討するに、被告は、主尋問において、原告には性関係ができる前に家族がいることを話したと供述しているが、陳述書及び反対尋問における供述では、バドミントン協会の忘年会や新年会に夫婦で参加したことや、後援会のパンフレットには被告に妻子があると記載されていることなどから、原告も被告に妻子があることを知っていたはずであるというのであり、直接原告に家族がいることを話したとは述べていないし、また、被告の供述によると、右の忘年会や新年会には監督やコーチは参加するが、選手は参加しないというのであり、右パンフレットも平成元年に発行されたものであるから、これらは原告が被告に妻子があることを知っていたことの根拠にはならないというべきであり、したがって、被告の供述中、妻子がいないと言って原告を偽ったことはないとする部分の信用性は乏しいといわざるを得ない。

以上のとおりであるから、被告の供述中、前記認定に反する部分は採用できないといわなければならない。

(三) その他の証拠について

証人丙川は、被告訴訟代理人の主尋問において、平成七年三月二三日ころ、被告から約三年前に付き合っていた原告とのことで、自動車や事務所のガラスを割られたり、甲田を通じて金銭を請求されたりして困っていると相談を受け、その翌日ころ、甲田と会った際には、原告が被告と交際していたが、別れてから苦しんでいると言われただけであり、原告が強姦されたという話は聞いておらず、甲田から原告が被告宛に作成した文書を見せられ、良識のある大人の恋愛に関する慰謝料として五〇〇万円は高過ぎると言ったときも、甲田は黙っていたし、その後、被告に対し、大人の恋愛である以上、慰謝料を支払う必要はないと進言したところ、被告もこれを納得した旨証言しており、原告訴訟代理人らの反対尋問においても、被告から最初に話を聞いたとき、丁原電気のバドミントン部の選手と交際し、肉体関係もあったと言われたが、大人同士の恋愛であり、何の問題もないと思ったので、それ以上は聞かなかった旨証言しているのであって、その内容は、被告の主張に沿うものということができる。

しかしながら、甲田は、丙川との話合いの経過につき、甲田としては、あくまでも被告が原告を強姦したという前提で話をしたが、丙川の方は、被告が原告を強姦したことを認めず、そういうことは男女関係ではよくある話であるとしてごまかそうとしている感じを受けたと証言していること、更に、丙川は、被告には妻子があり、しかも被告が熊本市議会議員であると同時に熊本県と熊本市のバドミントン協会の役員であることを知っていたと考えられるのに、被告がバドミントン部の選手であった原告と肉体関係を持ったとしても何の問題もないと判断し、被告から聞いた話の内容をそのまま信用し、これを前提に行動したというのは、不自然さを拭い難いこと、しかも、丙川は、被告から話を聞いた後、甲田と初めて会ったとき、原告が結婚を前提に付き合うと被告から言われたと主張していると聞き、被告に確認したところ、原告と結婚の約束をしたことはないと明言したので、それ以上は被告を追及しなかったのであり、原告の言葉を無批判に受け入れた可能性があること、その他、丙川は、被告とは約一五年前に知り合い、熊本県選出の衆議院議員の秘書仲間として行動を共にし、その議員が亡くなった後も付き合って来た関係にあることなどを考慮すると、丙川の証言は被告の主張の裏付けにはならないといわざるを得ない。

次に、丙山は、被告宛の平成九年三月一三日付証明書において、(1) 甲田から平成七年二月下旬ころ相談を受けたが、その内容は、原告が被告と別れて苦しんでいるというものであったと記憶しており、原告が被告に強姦されたというようなものではなかったし、(2) 同年三月一五日に被告と話し合ったとき、被告は原告との恋愛関係は認めたが、強姦等の話は一切なく、その結果を甲田に伝えたときも、被告が強姦を認めたような話はまったくしていない旨記載しており、乙野は、被告宛の平成九年三月一七日付証明書において、右(1)と同旨の記載をしているので、これらについて検討するに、被告は、本件訴訟における甲田の尋問調書を読み、これを丙山と乙野に見せたところ、丙山が自発的に証明書を作成してくれたので、これを参考にして被告がワープロで作成した証明書を乙野に見せ、これに署名押印してもらった旨供述しており、丙山及び乙野の右証明書は、いずれも被告の依頼により本件訴訟の係属中に作成されたものであり、その信用性は高いとはいえないこと、甲田は、平成七年二月初めころ戊田より原告が被告から強姦されたと聞き、原告にも確認した上、同月下旬ころ、乙野と丙山に被告が原告を強姦したことを話したのであり、その後に丙山から被告が原告と肉体関係を持ったことを認めたと報告を受けた旨証言していることなどの諸点を勘案すると、丙山及び乙野の右証明書は、その信用性に疑問があるといわざるを得ず、前記認定を左右するものではないというべきである。

以上のとおりであり、他に前記認定を覆すに足りる証拠はないといわなければならない。

3  当裁判所の判断

右1に認定した事実をもとに判断すると、被告は、平成五年九月当時、熊本市議会議員であり、熊本県と熊本市のバドミントン協会の役員の地位にあったが、同月二一日ころから二三日ころまでの間、丁原電気のバドミントン部の選手であった原告を食事に誘った上、原告の被告に対する信頼を裏切り、無理矢理ホテルに連れ込み、原告の意に反して性行為に及んだのであって、この被告の行為は、刑法上の強姦又はこれに準じる行為というべきものである。また、被告は、その後も平成六年春ころまでの間、原告との性関係を継続したのであり、この関係は、被告が意識するとしないとにかかわらず、原告に対し、結婚したいなどと甘言を弄し、あるいは自らの社会的地位と影響力を背景とし、原告の意向に逆らえば選手生命を断たれるかも知れないと思わせる関係の中において、形成され維持されたものであるから、結局、原告は、被告から強姦又はこれに準じる行為によって辱められた上、その後も継続的に性関係を強要されたのであり、被告によって性的な自由を奪われたということができ、しかも、これが原因で恋人と別れた上、バドミントン部を辞め、会社も退職するに至ったのであり、多大の精神的苦痛を被ったといわなければならない。

更に、被告は、原告の意に反して性関係を強要したことはなく、原告が積極的に被告を誘い、被告に妻子があることを知りながら、合意の上で被告との性関係を継続したのであるから、原告から強姦したなどと言われる筋合いはなく、原告によるいわれのない攻撃によって、被告の社会的地位や名誉が著しく毀損され、家族にまで犠牲が出ているのであって、本件訴えは、被告に対する恐喝と評することができるものであり、原告が被告と別れたことを逆恨みしたとしか考えられない旨供述しており、その供述内容にかんがみると、被告は、原告に性関係の強要を続けたことの自覚がなく、これに対する反省の情が窺われないといわざるを得ない。

以上の諸点を勘案すると、原告の被った精神的苦痛に対する慰謝料の額としては三〇〇万円が相当であるといわなければならない。

(裁判官 河田充規)

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